- 概要
被災各地の視察及び物資供給
- 日時
2011年7月30日~31日
- 場所
宮城県気仙沼市、南三陸町、石巻市
- 救援物資一覧
飲料水、食料(保存食、調味料、介護食)
生活必需品、日用品(食器、タオル、トイレットペーパー、キッチン用品、マスク等)
洋服(夏物、古着、下着類)、ハンガー
電化製品(調理器具)
子供が遊べるもの
文房具(鉛筆等)
- 備考
山口拓都議会議員を含め5名が参加。
<1日目>
・気仙沼市役所で目黒区の職員の方を表敬訪問。栄養ドリンク等を差し入れ。
・気仙沼駅、気仙沼市役所付近は被害がほとんどなかったが、浸水地域に入ると状況が大きく変わる。津波による被害のあとがまざまざと残っていた。(写真1-2)
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・武山米店にトイレットペーパー等日用品を中心に救援物資を届ける。
・陸地に打ち上げられた漁船が未だに残っていた。(写真3)
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・満潮が近付くと沿岸の道路は冠水状態になった。地盤沈下の深刻さが伺える。(写真4)
・フェリーで気仙沼大島に渡る。
・フェリーからは瓦礫や流された車の山が見え、津波の被害の大きさを実感することができる。(写真5-6)
・大島の港には積み上げられた瓦礫の山と打ち上げられた船があった。(写真7-8)
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・大島は市街地より甚大な被害を受けていた。
・休暇村気仙沼大島に宿泊。
<2日目>
・翌日の朝、休暇村の従業員の方にマスク2箱を渡す。
・気仙沼市役所大島出張所にマスク4箱を渡す。
・フェリーで気仙沼市内に戻り、再び市役所を訪れ、職員を激励する。
・本吉町経由で南三陸町に向かう。
・南三陸町は線路や橋が津波によって壊され、被害も大きいが、少し高い所にある家などは無事で、被害の差が激しい。しかし、海岸線に近い高台の家は被害に遭っている。(写真9-10)
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・マンションの上に車が乗っていることから、津波が建物の高さを優に越えていたことがわかる。
・南三陸町に派遣されている世田谷区職員を激励するために平成の森避難所に向かう。
栄養ドリンク、食料品等を差し入れ。
・避難所には仮設住宅が設置されていて、中には誰も住んでいない仮設住宅もあった。(写真11)
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・次に歌津中学校避難所を訪問し、ハンドソープ、ハンガー等を渡す。 (東京土建世田谷支部ほか提供)
・石巻市に向かう。
・日和山公園に立ち寄る。高台に位置するため市内を一望でき、被害状況を俯瞰。(写真13-14)
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・高台から見ると建物は原形を留めていたが、間近で見てみると川沿いにある大半の住宅の一階部分が損壊していた。津波が川を遡上したことが分かる。
・石巻市の在宅被災者へ物資供給所としてお借りしているところへ、残りの物資を供給へ。
<所見>
- 震災からおよそ五ヶ月経つが、これからも積極的な救援・復興活動に取り組む必要がある。物資供給は被災地によって求められている種類と分量が大きく異なるため、事前に把握すべき。飲料水、トイレットペーパーなど生活に必要不可欠なものはどこでも重宝される。
- ボランティアセンター、避難所、仮設住宅など供給先は様々だが、救援物資が被災者に適切に行き渡るシステムを早急に構築する必要がある。避難所はやはり物資が豊富だが、津波の被害に遭った家で未だに生活を営んでいる方もおり、彼らへの物資供給方法の確立は急務。
- 津波による被害の規模は場所により様々である。
- 気仙沼では30~40mの高さまで届いている所もあったが、街としての原形はとどめていた。しかしインフラの整備、信号、道路の復旧など課題は多く残る。
- 一方南三陸町を襲った津波はスピード・パワーともに他をはるかに凌駕している印象を受けた。瓦礫の撤去は進んでいるものの、復旧の見通しは立っていない。